わすれもの

2014年8月、はじめての妊娠が稽留流産でした。その時の記録。と、2015年8月に生まれた娘の記録。

稽留流産 手術後 2日目

いつもより遅めのAN9:30起床。

毎週楽しみにしているドラゴンボールのアニメが終わってしまっていた。
旦那さんを起こして朝食の準備をした。
 
お腹の痛みはそこまで無く、ごはんの後に子宮収縮剤と抗生物質を飲む。
友人がお昼ご飯にサンドウィッチを作って持って来てくれるとの事だったので、少し掃除機をかけたり、テーブルの上を片付けたりした。
 
10分くらい家の中を動き回ったら、突然お腹が痛み出した。
友人が来るまで30分しか無かったので、いそいで鎮痛剤を飲む。
 
友人が家に着いた頃には、外にも出られるくらい和らいでいた。
PM1:00からPM4:00頃まで、色々話をした。
流産のこと、仕事のこと、からだのこと。
前向きに頑張ろうって改めて思った。
 
お昼寝していた旦那さんを起こしたら、かなりお腹を空かせていた。
意見が一致して、おいしい焼肉を食べに行くことに。
車を15分くらい走らせて、PM5:15到着。
 
この時間で既に混み合っていた。
狭い席に案内され、焼肉をたらふく食べた。
つわりがあった頃は、焼肉なんてとても食べられないくらいだったから、とても嬉しかった。
 
会計を済ませたあと、時間がまだ早かったので、わたしの希望で本屋さんへ。
またふうちゃんが戻ってきてくれたら、その時はぜったいにミシンで服を作ってあげようと思っていた。
本屋さんで赤ちゃんに作ってあげる服の本を漁る。
結局、好みの本が見つからず、何も買わずに出る。
 
隣接したCD屋さんで、YUKIのニューアルバムが奇跡的に残っていた。
迷ったけど、旦那さんが背中を押してくれて、買うことに。
と、その時。
お腹に激痛。
立っていられないほどの激痛。
CDどころではなくなったが、とりあえず会計を済ませた。
車に乗ったが、痛みは無くならなかった。
旦那さんの希望で、ホームセンターへ。
とてもじゃないけど歩けそうに無かったので、車で待つ。
その間もひたすら激痛。
2日目なのに、無理しすぎたのかな?
 
帰宅してからも腹痛はやまず、ベッドに横たわる。
足の付け根も痛い。
お風呂にも入れないくらい痛い。
お腹がちぎれそうなくらい痛い。
寝ていても痛い。
歩くともちろん痛い。
痛み止めを飲んだ。
ジクロフェナクという、お母さんにもらった薬だ。
 
30分くらい経っても全く痛みが和らがなかった。
熱は36.8℃くらいだったので、病院に電話するか迷った。
でも、こんなにお腹が痛いなんておかしいのかも・・・と思い、旦那さんに電話をしてもらう。
時間はPM9:00頃だった。
 
先週の金曜日に稽留流産の手術をしたことを伝え、薬を飲んだことも伝えた。
鎮痛剤を飲んだのなら、少し様子を見てみてとのこと。
全く効く気がしなかったが、とりあえず看護師さんを信じることにした。
 
旦那さんが化粧を落としてくれ、パジャマに着替えさせてくれ、コンタクトも取ってくれた。
感謝の気持ちでいっぱい。
 
布団でiPhoneを触ったりもしたけど、ずっとお腹が痛かった。
眠れるかわからなかったけど、気が付いたら寝ていた。
泣きそうだった。
 

稽留流産 手術後 1日目

目が覚めると、お母さんも旦那さんもまだぐっすり寝ていた。

お腹の痛みはさほど無く、すんなり起きられた。

お母さんを起こし、一緒に朝ごはんを作る。

 

キッチンを歩きまわったり、ずっと立ちっぱなしでもお腹の痛みはそこまでない。

出血は、生理2日目ほどあり、安心する。(同時に面倒くさくなる)

 

お母さんが、わたしが数日動けなくなることを予想して、たくさんのおかずやらスープやらを作り置きしてくれた。

料理が苦手なわたしなので、余計に嬉しい。

旦那さんは積極的にわたしのお母さんと話そうとしないが、わたしが間に入ってなるべく3人でたくさん話をした。

 

旦那さんは、バイクを直したり(ずっと壊れている)、3月に挙げた結婚式の写真のアルバム作成の依頼に結婚式場へ行ってくれたりした。(まだ取りに行ってないなんて・・・)

もともと今日一緒に行く約束をしていたが、こんな状態なので一人で行ってもらった。

わたしの友達がプランナーだし、流産のことは話していないし、その友達は2週間後に挙式だしでいろいろ思うところがあり、自分からはとても話せる状況じゃなかったので、旦那さんから話をしてもらった。

友達にも、旦那さんにも申し訳ない。

 

旦那さんはPM4:00頃帰ってきた。

友達からもLINEが入っていた。

『今は、人のことを気遣うんじゃなくて、辛いって言って泣いて良いんだよ』というような励ましの言葉だった。

正直、今回の件、わたしはもう立ち直っている。

本当は辛くて辛くて辛くて辛くてしょうがなかったけど、いつまでもウジウジ泣いている場合じゃない。

ママがこんなんじゃ、ふうちゃんは戻ってきたくないんだ。

友達に話せなかったのは、知られたくなかったからだし、重い話もしたくないし、悲しんでほしくないし、なんて声をかければいいか悩んでほしくなかったし、色々だ。

話したくない気持ちは今でも変わらないけど、ふうちゃんに対して悲しんだり、辛いなあと思ったり、もう嫌だなんてことは思わない。

ママは早く元気になって、またふうちゃんが安心して眠れるベッドを用意するからね。

 

お母さんは、今夜の最終バスで滋賀へ帰る。

明日、お母さんの50歳の誕生日だったので、旦那さんに帰りにケーキを買ってきてもらい、3人で食べた。

なんだか照れた。

 

旦那さんの運転で、最寄り駅まで送る。

木曜日の夜から、今日の夕方まで、本当にありがとう。

手術の日はずっと着いていてくれたし、家事をやってくれたし、感謝の気持ちでいっぱいだ。

遠くに離れて住んでいるのは寂しいけど、ふうちゃんが産まれたらまた助けてほしいな。

家族って、いいな。

稽留流産 手術当日

張り切ってAM7:00起床。

今日は稽留流産の手術当日。

旦那さんは、転職先の大事な面接日。

病院に付き添ってもらえないのは寂しいけれど、本当に大事な面接だ。

 

今日のスケジュール。

AM  8:45 病院受付〜子宮の口をひらく施術

AM12:00 手術(10分くらいで終わる予定)

PM15:00 麻酔が落ち着くまで病院で休憩→その後帰宅

 

今日かかる費用は、12000円程とのこと。

 

道がやたら混んでいて、着いたのがAM8:50頃だった。

旦那さんに、何時に家を出るのか聞かれた時、AM8:30で良いっしょ!と言ったら、遅いだろ!と怒られたが、結局AM8:30過ぎに慌てて家を出た。

お母さんとわたしの悪い癖だ。

結果、間に合ってないし・・・

 

病院に着くと、妊婦さんが5名程いた。

ふと隣を見ると、暗い顔をした夫婦もいた。

看護師さんがその奥さんの方にコソコソ話しかけている。

その後、同じ看護師さんがわたしの方に来て、昨日のAM0:00から何も食べたり飲んだりしていないかのチェックをされた。

あぁ、隣の人も同じ手術なんだな、と思った。

 

少しして、検診のときと同じ部屋に呼ばれる。

エコーで最終確認をする。

やっぱり心拍が確認できない。

泣きそうになったが、こらえた。

先生から最終の説明をされ、そのまま子宮の口を広げる棒を入れる施術へ。

 

痛い!!!!!!!!!

なにか、ステンレスのような器具で子宮の口をカチカチ広げている。

歯を食いしばるほど痛かった。

もうこの時点で麻酔してくれよ・・・と思ってしまった。

 

何やら先生と看護師さんで話している。

「ちょっと待ってね〜」と待たされる。

どうやら初産婦のため、子宮の口が硬く、今別の器具を取りに行っているとのこと。

怖い。

この待ち時間が更に怖い。

 

しばらくして器具が到着する。

やっぱり痛い!!!!!!!!!

何をしているかさっぱりわからないが、怖すぎる。

 

20分程でやっと処置が終わり、2階に行くように指示される。

2階へ行くと、先ほどの夫婦がいた。

・・・やっぱり同じ手術なんだ。

 

2階にはナースステーションがあって、そこには産まれたばかりの赤ちゃんが4人くらい寝ていた。

あぁ、また泣きそう。

みんな同じ顔をしていた。

わたしも今頃3ヶ月半で、来年にはこうやって産んでたのかな・・・

辛い。

 

4人の大部屋に案内され、案内があるまで休んでいるように言われた。

部屋はとてもきれいで、大部屋だけど全く不快感も無く過ごせた。

下着はパンツだけにして、前開きタイプのつながっているパジャマを用意された。

さっそくそれに着替えて、お母さんと話す。

もし一人だったら、すごく不安だろうし、すごく時間が長く感じていただろう。

PM12:00前に呼び出され、3階へ。

 

怖い。怖い。怖い。

案内された部屋は、きっと分娩室だろう。

真ん中に椅子があり、広い部屋だ。

術後に履くパンツと、ナプキンを用意するように言われる。

看護師さん一人しかおらず、早口で説明され、椅子に座る。

右腕に血圧計、左腕に点滴をつけられた。

麻酔がどんなものかわからないまま、ずっと寝て待つ。

 

少ししたら違う看護師さんが入ってきて、

「では、麻酔入れますね〜」と言いながら点滴をいじる。

あぁ、そこから入れるのね、と思う。

その後すぐ、コットンのようなもので膣を消毒し出した。

「もう寝てくださいね〜」と言われたが、いやいや全然眠くないよ、怖いよ、と思っていた。

消毒していたコットンを、子宮の中へズボッと入れられた、その瞬間、意識が飛んだ。

 

どんどん狭いところに吸い込まれていく。

すごい速さだ。

上に行って、右に行って、下に行って、左に行って、一周するような。

どんどんどんどん狭くなる。怖い。

怖すぎて声が出ていたと思う。

異次元というか、死後の世界というか、覚えておこうと思ったけど、曖昧にしか思い出せなかった。

心のなかでは大声で叫んでいるつもりだった。

助けて・・・って感じだった。

 

気付いたら、耳から看護師さんの声が聴こえる。

「この間さ〜カラオケ行ってさ〜シダックス。キッズルームっていうのがあって〜、ケーキも出てきて〜、アナ雪歌って〜」

「え〜超良いね〜!」

話がどんどん耳に入ってくる。

え・・ちょっと待ってまだ終わってないじゃん?痛いよ?なんで?

麻酔切れちゃったの?怖い!怖い!怖い!

ひとりでパニックになっていた。

看護師さんがそんな話をしているのも、夢なのか現実なのかわからなかった。

目は開けられない。

手にも足にも力が入らない。

一生懸命、「痛いです。気持ち悪いです。」と伝えているのに、声が出ていない。

すごく怖かった。

途中で看護師さんが「終わったからね〜」と言ってくれたので、現実なんだとわかった。

目をうっすら開けてみると、ゆらゆらしていて、怖かった。

意識が朦朧としていたので、お母さんの顔や旦那さんの顔を思い出そうとしてみた。

輪郭と髪型は出てくるのに、顔が出てこなかった。

簡単な足し算はできた。

不思議だった。

 

終わった後、はじめての車いすに乗せられ、病室へ。

お父さんが来てくれていた。

3人で色々話をした。

お父さん、夜勤明けなのに寝ずに稽留流産の人のブログを読んで勉強してくれたらしい。

わたしが話すこと全てに「それこの人も言うてたわ!」と言うのがおかしかった。

昨晩から何も飲み食いしていないはずなのに、おしっこをやたらしたくなった。

 

同じ手術をした人は、麻酔中のことを、ジェットコースターみたいと表現していたらしい。

言われてみれば、わたしもそんな感じだった。

そんな楽しくなかったけど。

 

PM3:00頃、先生に最終チェックをしてもらい、手術中に入れた何かを取り出してもらい、異常もなく、料金を支払う。

結局、10700円だった。

 

お腹が空いていたので、帰りに3人でマックへ。

大好きなてりやきマックバーガーを食べたけど、そんなに美味しいと感じなかった。

 

お父さんとお別れして、お母さんとスーパーに寄り道して帰宅。

疲れた。

 

旦那さんはPM6:00頃帰宅。

お腹の痛みはそこまで無かった。

出血は、生理2日目くらい。

手術が怖かった話を何度もした。

旦那さんもお疲れ様。

もうこの手術はしたくないなと思った。